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みんなの「思想・哲学」ブログ


戦争責任者の問題

2016/06/15 22:55
戦争責任者の問題
伊丹万作

 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏につとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)




底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画春秋 創刊号」
   1946(昭和21)年8月
入力:鈴木厚司
校正:田中敬三
ファイル作成:
2006年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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2015夏の国会前デモに対して

2015/09/29 16:26
(末尾に音声版あります。)

国会前のデモ。
これに初参加する前に、私は早稲田で行われた、田原牧さん白井聡さんの講演、対談を聞きに行った。6/19(金)。

そもそもデモに参加しようという思いを抱いたのは、津田大介さんが参加したのを見てからだった。その津田さんは恐らくだけど、小林節さんが参加したのを見てなのだろうと思う。こういう風に人は影響されていくものだ。

で、6/19はデモへ参加したいのと、講演、対談があることを知り、それを聞きに行きたいのとで迷って、デモへ参加する人は沢山いるけど、講演対談を聞く人はそれより少ないのだし、聞きに行こうと思ったのだった。

田原牧さんは“ジャスミンの残り香   ――「アラブの春」が変えたもの”の著者。
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-789005-1&mode=1

白井さんが来る前に田原さんの講演が始まった。その中で、ハッピーエンドで終わった革命はないということと、警察の言うことを粛々と聞いて行うデモなど頭が悪い、ということと、肝要なのは永遠の不服従である、と言ったことなどの話を聞いた。

ハッピーエンドで終わらない革命じゃ困ると国会前デモに対して私は思った。警察と対立して、暴動になることも困ると思った。
それは、映画「レ・ミゼラブル」を見たことによる影響でもあった。

「レ・ミゼラブル」は公開中に一度観に行って、ものすごく完璧に素晴らしいものという感想を抱いた訳ではなかった。何か、ざわざわするものを胸に残した。だけど、それを観終わった後に感想として表現することはちょっと難しかった。

今年になって、もう一度観に行くことになった。ざわざわしたものを確かめた感じになった。ジャベールが投身自殺するシーンが前も嫌だったこと、それと映画のラスト。投身自殺はやっぱり嫌だった。古い映画の「レ・ミゼラブル」(か、ああ無情?)の、ジャベールの死はあまり嫌いだった覚えはないのだけど。

そしてラストシーン。権力との闘争で死んだ仲間たちなどが勢ぞろいし、明るく高らかに歌を歌う。まるでハッピーエンドの終わり方のように。

「レ・ミゼラブル」は革命が失敗した映画だということを確認した。

デモ活動をあのような悲劇の失敗の運動にしたくないと私は思ったので、ハッピーエンドに終わらない革命も、警察と対立し、凄惨なことが起こるデモにもしたくないと、強く思った。
だから、警察と対峙するのに、むやみに対立するのはどうかと思い続けた。得策じゃないだろうと。

今夏の国会前デモ活動。いろいろ批判があるのも当然と言えば当然で、批判があるというのはそれだけ関心が高いということでもあるだろう。

私個人の体感しているものとしては、全体として、私はうまく行ったのじゃないかと思っている。いろいろな雑音も含めて。凄惨なことが起きなかった。非暴力に徹した。参加した人、中継を見た人、報道を見た人たちが思いを共有した。全国各地に行動は大きく広がった。国を越えて世界にまでも。

このデモは、この社会で、これからどう生きるかを考えさせる動きだったのだと思う。勿論、目的は「廃案」だった。その廃案はできなかった…というか、採決されてもいないものを採決したと言い張り、議事も残しておらず、そんなイカサマをまかり通したことをちゃっちゃと正すことが出来ない、この暗黒社会だ。

そんな暗黒社会を作り出したのがこの国の民主主義だ。この国の国民だ。それをどうにかしようとする戦いはこれからも続く。

何故か。この社会に生きているからだ。

眩暈のするような暗黒社会に、染まず倦まず、何か芯の通ったものを持って、生きたい、生き続けたい。


《音声版》(ノイジーですみません)







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鳩山政権発足おめでとうございます

2009/09/17 02:49
 鳩山政権発足、おめでとうございます。
 入閣した方々がひな壇に並ぶ姿を見て、味わったことがない感慨深い思いがしました。細川政権の時に何を思ったとか全く覚えていないもので…。
 ああ何と新鮮なんでしょうか。浮かれることなく、謙虚にその場にたたずんでいる、どなたも。でも堂々として晴れ晴れとした表情ですね。
 選挙結果は残念だったところもあったので万々歳では決してないけれども、それでもこの結果はとても嬉しい。こんな思いをすることがあるなんて想像できませんでした。

 何かと比較される2005年の選挙のことですが、あれから4年と言われるけれども、私はそれよりもう一年前、2004年の参議院選挙から5年。今日はそう考えていました。
 2004年の参議院選挙で、小泉は大敗したのです。「逆風の中、よくこれだけの議席を与えてくれた。」なんてことをほざいたけれども大敗だったのです。私はあの選挙の時の小泉が本当に許せなかった。テレビをぶん殴りたいほど(←本気で)頭に来たのです。あの選挙はノー小泉、ノーイラク戦争だったはずなのです。そういう民意だったはずなのです。

 …あの頭に来た選挙から5年。短いようで長かった5年でした。

 小沢さんじゃなくて良かったです。小沢さん本人が一番そう思っているだろうと思います。いい形になった気がします。
 各大臣のこと、良く知らない人もたくさんいるみたいですけど(気になっていた防衛大臣は前原さんじゃなくて知らない人でしたし)、細かいことは取りあえず置いておいて、今は、ああ良かったなという気分。
 日本はこれから。日本の政治もこれから。
 経済だってこれから。
 何もかもが順風満帆に行くわけじゃないだろうから、荒波乗り越えて、この船が前に進んで行きますように。私自身もそう思って行動したい。
 そんなことを思った2009年の秋の真夜中でした。
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斜め上行く改憲論 2

2009/06/07 13:08
 長くなってしまった、ここまで(「斜め上行く改憲論 1」)が前置きです。
 本題。斜め上行く改憲論、と題しましたのは、護憲一辺倒にしがみつくのもどうかなと私は思っていて、勿論9条を断固守るという意思表明、運動は大事なことだと思うんですが、私自身はそれに乗っかる衝動が起きない。9条をー!と叫ぶシュプレヒコールを上げるには、何かが馴染まないんです。自分の中にちゃんとした衝動が起きないことはやりたくない。この引っかかる思いは何だろう?

 それならば、というか。現行憲法って、守ればいいものだろうか、果たして?

 それならば。護憲論者だった人たちからの、理想の改憲論が上がったっていいじゃないか。どうだろうか。違いますか?変ですか?
 天皇制は?今のままでいいと思っていますか?

 9条の理念をしっかりと守りつつ、憲法を改正するという論議、意見があったっていいはず。そこで、斜め上行く改憲論なのです。
 天皇制、どうにかできたらいいなと私はすごく思います。
 基本的人権が皆に守られる、人道的国家になれたらいいですよね。
 他人の不幸の上に、自身の幸せは無いんです。
 天皇家の人たちの不幸せの上に、日本人国民の幸せは無い。


おまけ:懐かしの画像をアップしてみます。
教育基本法改正法案に反対しに国会へ出かけていった時の写真です。2006年11月。
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斜め上行く改憲論 1

2009/06/07 12:54
 政権交代で結構なんですが、憲法の問題はどうなるんだろうという疑問は拭えない。社民党は恐らく、共闘を武器に、引き換えにして、改憲は許さないぞという姿勢で向かうのだろうけど、次の選挙の後、改憲の動きは否が応にも高まるだろうと思う。民主党は護憲党じゃない。改憲の党だ。自民民主で改憲へと動き出すだろう。

 ただ。以前程怪しく思えないのは、世の中が最近は改憲プロパガンダに煽られていないこと。
 かつて、小泉政権時や安倍政権時に嫌韓嫌中度が増しに増し、右傾化が心配されていた頃というのは、そういうプロパガンダが働いていたと思っています。北朝鮮は怖いぞ酷いぞだとか、韓国の竹島問題だとか、中国ではわざわざ反日デモが起こったり、ほれほれ憲法改正が必要じゃないのか、近隣諸国はこんなに危険だぞという、日本人向けプロパガンダ。これにまんまと煽られて乗せられて、多くの日本人が右傾化しちゃった。小泉の靖国参拝も後を押した。

 完璧右翼の安倍氏が総理大臣になって、それまずは教育基本法改正だ、そのための世論形成だとして、なんと子供のいじめ自殺がクローズアップされた。わざわざニュースででかでか取り上げた。そのせいで連鎖的に子供の自殺が相次いだ。国家権力を手にした者たちはびっくりする程非情です。プロパガンダ流して子供の自殺が相次いだって心を痛めることもない。恐ろしい。
 やらせのタウンミーティングも税金をしっかりたっぷり使って行いました。大人にやらせの質問をさせるだけでなく子供にまで質問をさせ。そこまでしてでも世論を何とか動かし、教育基本法を改正したかった。最終的には衆議院の数の暴力で可決させ。

 …で、ここまでは改憲プロパガンダがとても働いていると思っていました。世の中に。
 しかし。何故かこの後、止んだ気がするんです。そもそも、安倍氏の教育基本法改正のことや、その他のやり方は民主党を排除する方向に働き、自民民主共闘でなければ動かない改憲の動きに対し、安倍氏のやることは寧ろ護憲に働いたという内容の話を聞いたことがありますが、それでなのでしょうか。あれほどにビュービューと露骨だったプロパガンダの風が、吹かなくなったと思うのです。

 とはいえ、北朝鮮問題の話題はせっせと報じられはしますけど。それミサイルだ、それ核実験だ。北朝鮮は怖いぞプロパガンダ。
 どうにも興味が持てなくて、ああそうですかという気分で、あまりに迎撃ミサイルの話題が沸騰している時は頭に来たあまり、迎撃ミサイルというインチキなものにしがみつくなら、シェルターをせっせと作ればいいじゃないのよ!と思って、そんな意見を某ラジオ番組にメールで投書してみたり(メール自体ボツだったけど)。

「斜め上行く改憲論 2」 に続く)
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人は精神の生き物だから

2009/06/02 12:57
 現代の人間が置かれている生活環境というのは、実は生きにくくて当たり前の環境なのではないだろうかと考えます。私自身が生きにくくて生きにくくて困っています。でもみんなもそうだろうと思う。
 不況だとか貧困だとか最近はよく使われるけれど、それでも日本は豊かな国です。だけど、それは歪んだ豊かさだと思う。発展途上国の低賃金労働に支えられた、激しく歪んだ豊かさだと思っています。それゆえに、この豊かさは幸せを生まずに息苦しさを生む。だから生きにくい。

 人は精神の生き物だと思います。精神いかんによって幸せにも不幸せにもなる。お金や物で幸せになるんじゃない。精神が満たされてこそ幸せを得られる。
 では、精神が満たされるってどういうことだろうか。

 性善説、性悪説とありますが、人間の本質は善である、若しくは悪である、などとそのどちらかであると言い切るのなんて無謀な話で、そんな単純なものじゃない。善にも生きられる、悪にも生きられる、そういうことでしょうと考えています。
 そして、どっちに生きたら人間は幸せなのか。どう生きたら気持ちよく生きられるのか。

 だからこそ、人間を救うのは哲学といったような教えだと思うんです。但し、根気が必要となる難しい哲学じゃ万人を救わない。万人に受け入れられる哲学が一番大事。そんなように考えて日々生きています。

 以上、走り書きでありました。
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実直に生きること、幸せであること

2009/05/22 08:50
 椎名林檎ちゃんの作る歌の歌詞には、ズバリ哲学が満ち満ちています。生きるということに対する思いが満ち満ちています。林檎ちゃんは言わばすんばらしい哲学者です。(すんばらしい音楽家であるのは勿論のこと)
 こんなことを椎名林檎に対して言う人が他にいるのかどうかまだ調べてないので分かりませんけど、私はそう思っています。

 あまりに素晴らしいので紹介せざるを得ないという感じなんです。
 今紹介したい曲が少なくとも三つあります。その三つを紹介します。

 発売順で紹介します。一つ目。「キラーチューン」。
<贅沢は味方 ずっと欲しがります 負けたって 勝ったってこの感度は揺るがないの
貧しさこそが敵>

 二つ目。「余興」。
(歌詞の抜粋、すいません後日書き足します。DVDに入っているんですが、今度出るアルバムにも収録されます)

 三つ目。「ありあまる富」。
(これも歌詞の抜粋、後日書き足します。)

 「ありあまる富」は今月27日に発売です。この歌詞が本当に良いです。ちなみに今やっているTBSの金曜のドラマ「スマイル」の主題歌です。


 …取り急ぎで書いてしまいました、後日修正してアップし直します。
 尻切れとんぼでごめんなさい。
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インフルエンザ過剰反応

2009/05/18 19:15
 いやいやいやいや。新型インフルエンザの話題全盛期ですか?
 いやいやいやいや。私、インフルエンザ怖くないです。

 まあ今は関東に及んでいないという話だからというのもあるかもしれないけれど、例えこれで関東でも感染者発見!って始まっても、動じないでいたいものだと思っています。
 怯えるよりも、普段から抵抗力をつけておきたいです。そして、普通に手洗い、うがい。等々。

 冷静な対応を呼びかけていると堂々と言うけれど、何だい、マスコミ見てる限りじゃ、ほれ怖がれそれ怖がれで煽ってっじゃねーかってんだ。ほれマスクしろ、ほれ怖いぞ、って。

 マスコミってなあ。日本てなあ。政府ってなあ。

 何か、あの映画を思い出します。「Vフォー・ヴェンデッタ」。懐かしいー。

 で、この文章に責任を取れと言われても、この無名匿名ブログには責任はない訳です。ので、思ったままを書けるのであって。

 あの映画、また見たいな。

 そうそう。せっかく注目を浴びているはずの民主党の話題が、お陰ですっとんでいますよね。っと。


参考過去記事
スピンという情報操作を意味する言葉
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自分さえ良ければいい社会

2009/02/17 23:45
 中川(酒)氏が結局、辞任した。もうちょっと引きずるかと思っていた、これまでのパターンなら。安倍氏が首相だった頃と似た風景だなぁ、と今日思っていた。
 中川(酒)氏と言えば私にとっては安倍氏とセットでNHK番組改変問題に関わる人物という存在。ヤクザのような話し方で記者と接するらしいという人物。
 そんな人物の終焉がこんな形でやってくるとは。安倍氏はまだまだ機会あれば担がれそうな雰囲気だけど。

 未曾有の経済危機です大変です、って言っていながら政府のやっていることなんて緊張感も責任感も何にもない。自民党政権がどうなるのか、自分たちの議員生命がどうなるのか、そんなことにしか関心はないじゃないか。
 天下りで甘い蜜を吸い続ける人々だってそうだ。恥とも何とも思わず、おいしい思いを自分ができるのは結構なことと享受して。
 国家の展望だとか何だとか、きちんと考えていないじゃないか。国が経済的に発展する一方の時代なら、それが見逃されてお咎め無しで済んでいたんだろう、それだけの余裕が国にもあったんだろう。

 今。この社会には生きるか死ぬかの瀬戸際まで追いつめられている人々がいる。命を断ってしまう人もいる。
 だけど、多くの人々は自分さえ良かったらいいと思っている。
 私自身がそうだ。自分さえ良かったらいいやと思って生活している。何とか生活できているからいいやと思っている。
 ものすごい、利己的、利己主義社会だ。
 自己責任論吹き荒れた時代に、この傾向は酷くなったのだろうか。不景気と言われる時代には特にその傾向が酷くなるのだろうか。サバイバルなのだろうか。

 私は数年前に田舎から東京に出てくる時にすごく怖かったことがある。それは、電車の人身事故に遭遇するのではないかということ。それがものすごく怖かった。
 人身事故一件起きるということは、ものすごい悲劇がそこで起きたということ。
 そのものすごい悲劇が、もう東京では何と日常茶飯事だ。電車で移動すれば、ああ何何線で人身事故か、またか、と思う。いちいち、ものすごい悲劇が、なんて思いもしない。自分に迷惑がかからなければそれでオーケー位のものだ。
 …ただみんな知っている。認識していようといなかろうと、心の奥底では必ず感じている。異常だと。この時代は異常だと。そのストレスはきっとみんなにかかっているだろうと思う。

 電車の運転士が気の毒だ。鉄道関係者だって気の毒だ。電車の運転士は、人を轢き殺すために運転士になったんじゃない。そう思って気の毒でしょうがない。
 そう思い続けてきたけれど、そんな私も毎日に慣れてしまった。気の毒に思う気持ちも薄れてきてしまった。
 人間は慣れる生き物なんだ。

 自分さえ良ければいい社会。だけど、表面上はそれほど殺伐としている訳でもない日本。
 日本に滞在している外国の人たち…中国の人とかにとって、日本は住みやすいのだと聞く。その理由は何だったか細かくは忘れたけど、例えば治安が良いこととか。あとは何だろう、インフラが整備されていることとかだろうか。
 外国の人が住みやすいと思う反面、本当に自殺者が一向に減らない異常事態がえんえん続いているこの国。
 そんな日本。
 そして、自分。
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老いて尚働こう

2008/11/26 17:36
 首相になってから良い事無しの麻生さんですが、かつて発言していたことで私もそう思うと思っていたことが一つあります。
 それは、元気な老人は働こうということ(表現はちょっと違うと思いますが)。

 どんな意味においても良いことだと思うんです。元気で充分働ける能力がありながら楽隠居するよりも。

 やることがあるというのは日々に充実感が生まれ、体力、健康面においても良い事です。おまけに無償ではなく、お給料も入る。
 労働後はご飯もビール(飲む場合は)も美味しさが増します。

 表現は全然違うと思うけど、似たことを麻生さんがあのだみ声で言っていたのを聞いたことがあったので。(だみ声で、は余計ですが。)

 少子化もさることながら、超高齢化社会は既に始まっていると思います。
 この社会がどうあるべきか、そして自分達はどう生きて行ったらいいか考えた時、まずはこれから老いていく今はまだ若い人達は、元気に老いる、老いて尚働くことを考えて生きていかなくては、と私(これから老いていく人)は考えます。
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タイトル 日 時
盗撮行為に思うこと
 女と男では、盗撮に対する気持ちが大分違うだろうと思う。ともかく、女性が被害者になる。どの女性にしろ、その危険性から逃れられない今の世の中です。 ...続きを見る

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2008/09/23 18:42
ズルは得か?
 道路特定財源の話題を聞いていて。  結局、政権与党の政治家、官僚、関係者、真っ黒けのけだなあと、改めて思う次第です。そんなことは日本においては小学生だってそう思っているだろうけれど。 ...続きを見る

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2008/03/05 02:03
生きててなんぼ
 とっても入力しづらい携帯端末からの投稿です。思いついて、書きたいと思ったので。  私の父は長いこと病院に入院していましたが昨年他界しました。父が亡くなったことによって私は、人間の生死について、それ以前の時にはあまり思わなかったこと、考えなかったことなど、いろいろ思ったり考えたりするようになりました。 ...続きを見る

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2007/06/11 00:46
訂正です、お名前を間違っていました。
 以前書きました「哲学が楽しい」中の、哲学者池田さんのお名前を間違って書いておりました。「昌子」さんではなくて、「晶子(あきこ)」さんなんですね。  大変失礼いたしました。書いた後、だいぶしばらくしてからそのことに気づき、訂正しなくては、と思いつつ、こんなに遅くなってしまいました。ようやっと訂正いたしました。 ...続きを見る

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2007/05/20 20:03
哲学が楽しい
 哲学を学んだことはありません。本も読んでません。知識はほとんどありません。  でも、「哲学」らしきことを考えていることはすごく楽しいです。最近の私は政治熱が幾分か冷めてしまい(そんなことではいけないとお叱りを受けるかもしれませんけど)、その代わりに、というわけでもないつもりだけど、哲学のようなことをとてもいっぱい考えています。 ...続きを見る

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2007/03/18 21:52
ネットのない生活
 相変わらず、ネット回線を引かず、パソコンを全然立ち上げない生活をしています。これはこれでかなり快適だったりします。不便に思う時もまああります。いつになったらネット回線を引くんでしょうかね私は。特別何が何でも早く引きたいのではないようです(他人事のようですけど)。全くネットと縁を切っているわけでもなくて、携帯端末で若干見ていたりもしますが、いかんせん小さな画面だし入力も不便だしで、本格的にネットを見る、というわけにはいかないです。 ...続きを見る

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2007/03/15 20:44
東京の屋内はえてしてくそ暑い!
 このブログ、正常に運営できるようになるメドは未だたちません。すみません。  そんな中、キレ気味になりながら主張いたしますのは、タイトルにしたことです。暑いです!お店の中とか、地下鉄構内とか。いつも私はお店に入った途端、または地下鉄構内に入った途端、暑くて辛抱できなくなります。たまりかねて上着を脱ぎますが、それでもまだ暑いくらい。  ところが。周りを見渡すと、皆さん分厚い上着を着たまま、どなたも平ちゃらなんですね。・・・なんで???謎です。私は元々寒がりのはずなんです。夏など、男性なんか、ク... ...続きを見る

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2007/01/30 20:22
超少子化が進んだらこの国どうなるんでしょう
 超少子化が進んだら、この国どうなるんでしょう。  どうなるんだろうな。この国が衰退するのは案外いいことかもしれないなんてことを思いつつ。  超少子化が進んでも戦争できる国になれますかね? ...続きを見る

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2006/12/18 00:00
自殺はいけないという観念は置いてけぼりでいいのでしょうか
 子供の自殺という痛ましいニュースが頻発しているみたいです。  私が言いたいことをちょっと簡単に書きたいと思いますけど、いじめという行為がいけないことも勿論事実ですけど、じゃあ、だからといって、ひどいいじめにあって逃げ場がないほどつらかったら、自殺をしても無理はない、とでも言っているかのような、自殺をいけない行為とは主張しないで、肯定してしまう風潮というのは、それはそれでいいのでしょうか。私はいいとは思わないです。  いじめの問題はいつの時代にだってあるもので、いじめというもの自体はゼロにし... ...続きを見る

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2006/10/17 01:04
小泉は会社の社長だったら可だった人 2
小泉は会社の社長だったら可だった人 2  私が小泉という名の総理大臣に対して、こいつは駄目だと決定的に思ったこと。  それは、イラク戦争が始まり、イラク戦争が一旦はアメリカ勝利で終わったという話になり、その後、自衛隊派遣の問題で日本が大きく揺れていた時に、一人の高校生が自衛隊派遣に反対する署名を集め、それを小泉首相に手紙を添えて届けにいったときの話です。(いつかブログのどこかでそんな話を書いたこともあるかもしれません。)代理の人がその署名と手紙を受け取って、そして小泉がそのことに対して言ったことは、手紙は読まなかった、学校の先生は自... ...続きを見る

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2006/10/11 23:38
数字は全てを表さない 2
数字は全てを表さない 2  どこを見ても聞いても、世論調査のデータを、ほぼ確たるデータとして取り扱う人たちばかりなようで、私が主張していることはよほどおかしなことなのかな、と少し自信をなくしかけていたところでしたが、森田実さんが、田村秀〔しげる〕(新潟大学大学院助教授)著『データの罠――世論はこうしてつくられる』(集英社新書、2006年9月20日刊)という本の内容を紹介しているコメントをされているのを見て、ちょっとほっとしました。 ...続きを見る

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2006/10/05 19:51
数字は全てを表さない
数字は全てを表さない  世論調査の数字に対して、いろいろと大騒ぎをすることが多い世の中だと思います。  世論調査の欠点ってあると思うんです。世論調査は、全てを表しては絶対にいない。何か、一部分を表したものに過ぎないと思う。その数字に対しての過信は禁物と思う。  例えばウィキペディアでは“世論調査”のページで次のような記述があります。 ≪恣意的な設問によって世論調査の実施主体にとって有利な世論に誘導できる点が批判されることもある。さらに、無回答や分からないという回答の扱い方が難しいため、統計学的に母集団を推定する... ...続きを見る

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2006/10/01 23:15
ブログ炎上という言葉は安っぽい
ブログ炎上という言葉は安っぽい  ブログ炎上、って言葉がよくあちらこちらで踊っているけれど、ブログって燃え上がるものでしょうかね。  コメント欄に、そのブログ主(ぬし)に対して批判的なコメントが殺到することをブログ炎上と呼んでいるらしいですけど。 ...続きを見る

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2006/09/16 10:51
人間は平等であるべきなんです!
人間は平等であるべきなんです!  お世継ぎ問題?男だけが継承できるのはおかしい?男女平等の精神に反する?  …馬鹿ね!男女平等の前に人間が平等と言うべきでしょう。それを言うのだったら。 ...続きを見る

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2006/09/09 22:33
日野原重明さんの「第二の国歌」の話
日野原重明さんの「第二の国歌」の話  以前私は「君が代じゃない新しい国歌を。」という主張をしましたが(君が代という国歌 2006/07/21)、日野原重明さんが「第二の国歌をつくろう」という主張をされているのを見ました。 「94歳私の証・あるがまま行く」第二の国歌をつくろう  日野原重明 http://www.be.asahi.com/20060826/W25/20060817TBEH0017A.html ...続きを見る

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2006/09/02 20:43
数学の勉強と論理の話 2
 ここで突然小泉首相を出してみると、小泉首相は途中の論理がすっ飛んでいても、そんな馬鹿な、っていう根拠でもおかまいなしで、“ゆえに” なんちゃらだ! …と、強引に主張し続けましたよね。凄んだりしながら。踏まえるべきところがすっ飛んでいる、根拠がおかしい、論理的に成り立っていないなど、言っていることが滅茶苦茶なのに、なんと5年の間もその主張を成り立たせてきましたよね…。 ...続きを見る

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2006/08/26 23:28
数学の勉強と論理の話 1
 私は中学校から数学と英語は塾で習っていたんですが、中学の数学って結構難しかったですよね?私は塾の先生に随分厳しく指導してもらって、それで何とか及第点でした。これで塾に通っていなかったら、数学は苦手で嫌いになっていたんじゃないかと思います。 ...続きを見る

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2006/08/26 23:03
右派の人たちは共産主義者のよう
 このところ思っていること。  北朝鮮や中国などに強硬的な思想を持ち、ガンガン批判をする保守・タカ派、右派(なんと表現すれば一番しっくりくるのかわからない)の人たちの主張って、共産主義者のようなんですよね。  強制されているわけでもないのに、国家万歳(意味としては)、敵は○○だ、そうでないものは反日だ、と。  共産主義者のようだと、中にいる人たちにはそう思えないのでしょうね。 ...続きを見る

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2006/08/18 01:19
人間を見なかった政治
 宮内義彦氏の主張を本で読みました。(「日本よ!日本人よ!」田原総一朗編 小学館、P165、日本経済復活の答えは簡単、実行は難しい)2002年12月に発行された本です。 ...続きを見る

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2006/08/03 23:31
君が代という国歌
 先のサッカー・ワールドカップの試合で、日本の選手が君が代を歌うシーンを私も一度だけ見ていましたが、少なからず考えることがありました。見る人によって考えることは違うだろうと思いますが、私が思ったことは、国歌を変える必要がある、ということでした。 ...続きを見る

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2006/07/21 01:30
強い国家とは
(※タイムリーな北朝鮮関連の話題ではありません。)  週刊金曜日 2006年07月07日号の、「本当は恐ろしい人権派弁護士バッシングの罠(佐藤優)」を読みました。 ...続きを見る

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2006/07/12 01:52
情報操作が何を生み出すかを考えた
 この数年間、この日本国内でも、例えばアメリカや他の国でも、いろいろなところで情報操作というものが吹き荒れてたんだろうなと、勝手に確信しています。 ...続きを見る

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2006/07/09 19:09
人の命はかけがえがない
 痛ましい事件が起きます。  人の命はかけがえがないです。  人の命も。自分の命も。 ...続きを見る

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2006/06/06 00:02
多数の裸の王様がのし歩く
多数の裸の王様がのし歩く  昨日5/17の党首討論。 ...続きを見る

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2006/05/18 18:11
国を代表する人(2)
国を代表する人(2)  前原さんなんですが。以前「サンデー・プロジェクト」に出演しているのを見ていた時、一つとても引っかかったことがありました。  田原さん相手に、永田議員に対することを尊敬語で話していたんです。  永田さん、と呼んでいたかな?そこは記憶してないんですが、入院していることだとか、全てのことに、「うちの永田議員が」という謙譲語の話し方はしないで、変に尊敬語だったんです。  それって正しいのかな、と私は思ったんです。 ...続きを見る

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2006/04/03 00:40
国を代表する人(1)
国を代表する人(1)  民主党の前原さんが引責辞任を表明されたそうですね。  アンチ前原だった人々には嬉しいニュースだったようですね。  私はというと、元々民主党に思い入れが無いということと、それと元々の論点がすり変わってしまったこの一連の話題に、あまり興味を持っていなかったため、前原辞任、永田議員辞職、のニュースに「あーあ。」と溜息が出ました。 ...続きを見る

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2006/04/03 00:20
右翼・左翼、保守・革新という言葉の概念
右翼・左翼、保守・革新という言葉の概念  以前にも<保守系って何だ?>という文章を書いたことがある(2005/10/12)んですけど、今日またふと、右翼左翼って何だ?と思った。  思ったのは、鈴木邦男さんの文章を読んでいて。鈴木邦男さんという人、私は知ってまだ日も浅いんですが、この人面白いな、と文章を時々読んでいます。(読んでいるホームページへのリンクはこの文章の最後に載せています。) ...続きを見る

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2006/03/20 19:24
野良狸の素朴なつぶやき(02/25)
野良狸の素朴なつぶやき(02/25)  タイトルにした言葉はちょっと今いちなんでありますが、素朴な疑問やら、思ったり気付いたりしたことなどをちょっと書きたくて。(どうということもない話かも。)  「とくらBlog」さんが、ブログで私の以下の文章を、昨日(02/24)ですか、取り上げてくれました。 ■「スピン」というジャーナリズム界における言葉 http://norata.at.webry.info/200602/article_15.html ...続きを見る

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2006/02/26 00:07
感情
感情  ムカッときた感情に左右される、って大きいですね。  よく女の方が感情に左右されやすいと言われるけど、実際自分も左右されることを認めるけど、でもだからって男は左右されていないか、といったら、随分左右されているように、私には見えます。 ...続きを見る

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2006/02/11 02:06
天皇制を敷き続けるこの国の国民のエゴ
 皇室典範の話が盛んに行われていても、私はずっと冷めていた。  関心の触手が動かなかった。 ...続きを見る

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2006/02/04 19:12
男と女
男と女  金曜夜の「朝まで生テレビ」と今日(日付変わって昨日)の「サンデー・プロジェクト」を見ました。(注:私が今いる環境ではこれらの番組が普段見られません。ケーブルテレビを引くか、スカパーに入れば見られるんだけど、それをしていないだけなのですけども。で、今回はそれを何とかして見ました。) ...続きを見る

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2006/01/30 00:12
情報を判断すること・2
情報を判断すること・2  まず最初に、前回の続きの、24日の出来事を書きます。 ...続きを見る

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2005/12/26 23:04
情報を判断すること
情報を判断すること (※まだ、いただいているトラックバックやコメント等に全部対応できていませんが、文章をアップしました。) ...続きを見る

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2005/12/26 02:11
意見を言えない国、言わない国、日本
意見を言えない国、言わない国、日本  電車に乗りながら、今年のことをふと思い巡らせていた。  ハチャメチャだった衆議院解散総選挙前の、JR西日本福知山線の電車事故。日にちは4月25日だったんですね。そうか、中国の反日デモが4月9日だったから、それからそんなに間は空いていなかったんだ。 ...続きを見る

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2005/12/20 22:26
日本人とクリスマス、その後
日本人とクリスマス、その後  『日本人とクリスマス、及びバレンタインデー』という文章を書いてからその後、ずっと自分の気持ちの中にちょっとしたしこりのようなものができて困っていました。  街中を、今、クリスマスと無関係に歩けることなんて、まずないですしね。  あの文章で書いたことは、一応主張したかったことに間違いはないんですけど。 ...続きを見る

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2005/12/18 00:29
日本人とクリスマス、及びバレンタインデー
日本人とクリスマス、及びバレンタインデー  日本人とクリスマス、バレンタインデーって、何なんでしょうね? ...続きを見る

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2005/12/11 20:33
日本の貿易、アメリカの貿易
※この記事へ、毎日、ヤフー検索からのアクセスが半端じゃなく来ていました。  特定の人がわざと何回もアクセスしている場合もあったようです。  理由がつかめないし、ヤフー検索のトップに来ることも納得できないため、一時ここの文章は取り下げることにします。  熟考した後、再アップしようと考えています。 ...続きを見る

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2005/12/06 23:59
不毛な時代を生きる
不毛な時代を生きる  “あの”小泉総理大臣が頂点となってちやほやされる。誰も反発できない。  憲法改正を唱えているメンバーの中心にいるのが、あれほど馬鹿だ馬鹿だと言われ続けた“あの”森前総理。それや、“あの”舛添議員。 ...続きを見る

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2005/11/22 22:53
戦争で人が死ぬ怖さを、私たちは知らない
 2ちゃんねるで少しばかり書き込みをしていた。相も変わらず、圧倒的に「右」に偏りきっている人たちだらけの場所。  憲法改正の何が悪い、改正すべきだ、そんなような考えでいる人たち。 ...続きを見る

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2005/11/06 22:13
魔法瓶
 私はお湯を沸かすのに、電気ポットでお湯を沸かせた後に、別の魔法瓶にそのお湯を移し変えます。電気ポットのコンセントは、お湯が沸いたところで外します。(ちなみに一人暮らしのため、沸かす電気ポットも魔法瓶も両方とも1リットルというサイズです。)  コンロでやかんで沸かしたっていいんですけどね。以前に電気ポットを買ってしまったんで、こんなやり方をしてます。 ...続きを見る

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2005/11/05 20:46
アメリカが救われる道って、何なんだろ?
 素朴な疑問なんです。アメリカが救われる道って、何なんだろうと。 ...続きを見る

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2005/11/04 00:28
私は日本人である前に、人間という生き物です
 憲法を改正すべしという風潮、そして、日米軍事同盟の強化と言った話題など、国家という言葉や軍事の話など、メディアがやかましく伝えるようになってきた。    私は日本人というものである前に、人間という生き物です。  地球に生息するいろんな生き物の中で、たまたま人間という種類に生まれてきた、生き物です。 ...続きを見る

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2005/10/30 19:39
反対意見が言える場があってこそ
 反対意見を抹殺しちゃいかんです。  反対意見を言う人もいてこそ。 ...続きを見る

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2005/10/08 01:43

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