自分さえ良ければいい社会

 中川(酒)氏が結局、辞任した。もうちょっと引きずるかと思っていた、これまでのパターンなら。安倍氏が首相だった頃と似た風景だなぁ、と今日思っていた。
 中川(酒)氏と言えば私にとっては安倍氏とセットでNHK番組改変問題に関わる人物という存在。ヤクザのような話し方で記者と接するらしいという人物。
 そんな人物の終焉がこんな形でやってくるとは。安倍氏はまだまだ機会あれば担がれそうな雰囲気だけど。

 未曾有の経済危機です大変です、って言っていながら政府のやっていることなんて緊張感も責任感も何にもない。自民党政権がどうなるのか、自分たちの議員生命がどうなるのか、そんなことにしか関心はないじゃないか。
 天下りで甘い蜜を吸い続ける人々だってそうだ。恥とも何とも思わず、おいしい思いを自分ができるのは結構なことと享受して。
 国家の展望だとか何だとか、きちんと考えていないじゃないか。国が経済的に発展する一方の時代なら、それが見逃されてお咎め無しで済んでいたんだろう、それだけの余裕が国にもあったんだろう。

 今。この社会には生きるか死ぬかの瀬戸際まで追いつめられている人々がいる。命を断ってしまう人もいる。
 だけど、多くの人々は自分さえ良かったらいいと思っている。
 私自身がそうだ。自分さえ良かったらいいやと思って生活している。何とか生活できているからいいやと思っている。
 ものすごい、利己的、利己主義社会だ。
 自己責任論吹き荒れた時代に、この傾向は酷くなったのだろうか。不景気と言われる時代には特にその傾向が酷くなるのだろうか。サバイバルなのだろうか。

 私は数年前に田舎から東京に出てくる時にすごく怖かったことがある。それは、電車の人身事故に遭遇するのではないかということ。それがものすごく怖かった。
 人身事故一件起きるということは、ものすごい悲劇がそこで起きたということ。
 そのものすごい悲劇が、もう東京では何と日常茶飯事だ。電車で移動すれば、ああ何何線で人身事故か、またか、と思う。いちいち、ものすごい悲劇が、なんて思いもしない。自分に迷惑がかからなければそれでオーケー位のものだ。
 …ただみんな知っている。認識していようといなかろうと、心の奥底では必ず感じている。異常だと。この時代は異常だと。そのストレスはきっとみんなにかかっているだろうと思う。

 電車の運転士が気の毒だ。鉄道関係者だって気の毒だ。電車の運転士は、人を轢き殺すために運転士になったんじゃない。そう思って気の毒でしょうがない。
 そう思い続けてきたけれど、そんな私も毎日に慣れてしまった。気の毒に思う気持ちも薄れてきてしまった。
 人間は慣れる生き物なんだ。

 自分さえ良ければいい社会。だけど、表面上はそれほど殺伐としている訳でもない日本。
 日本に滞在している外国の人たち…中国の人とかにとって、日本は住みやすいのだと聞く。その理由は何だったか細かくは忘れたけど、例えば治安が良いこととか。あとは何だろう、インフラが整備されていることとかだろうか。
 外国の人が住みやすいと思う反面、本当に自殺者が一向に減らない異常事態がえんえん続いているこの国。
 そんな日本。
 そして、自分。

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